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(1)心構え 
既に説明いたしましたが、心を調えるというのは、心に浮かんでくる雑念、邪念などを否定して、無になるということではありません。人間の心には、思考力、想像力、記憶力、理性、意志、欲求など、様々な能力が与えられています。調身により、人間の本来の力が徐々に発揮されるようになりますから、当然これらの能力も、最もよく働く状態に近くなります。ですから調心はこれらの能力を否定したりするのではなく、分散させずに一つのことに集中させる工夫をするというところから始まります。
人間に思考力や想像力がある以上、雑念が浮かんでくるのは当然です。雑念が起こってくることそれ自体は、生きていることの証でもあるのです。ただ、その雑念に捕らわれないようにすることが、大切なのです。むしろその雑念が起こってくる根源そのものを見つめていくということを試みていくのです。
根源を見つめていくというのは、言い換えると「待つ」という状態です。自分から積極的に雑念に対して何か事を企てると、却って雑念の渦中に巻き込まれていきます。
「待つ」という態度には、大自然からの何らかの働きかけ、応答、あるいは自分の意志以外の何者(自然のエネルギーと呼んでもよいでしょう)かによって心が満たされていくことを信じる信頼感が根底に存在します。何もないのに漠然と待つのとは違います。来るべきものへの信頼があるから期待し、待つことが出来るのです。この「待つ」という行為が大自然への信頼への証となります。この信頼が揺らげば、そこから迷いが生じ、心を調える事が出来なくなります。
「待つ」時に大切なことは、集中力を養うということです。その具体的な方法として、調息でお話しした呼吸法を基礎として呼吸を工夫したり、あるいは身体に意識を巡らせて体の緊張を解したりします。(禅では公案を行います)
(2)集中(精神統一) 
集中は瞑想の中心です。どのような瞑想法でも、この集中を中心として展開します。集中なくして瞑想はあり得ません。急がず、不安を持たず、緊張せずに、心の底から精神を集中させます。丁度目の前で鳥を観察するときのように、じっと注意を払います。少しでも身体の位置を変えたり、うっかり動いたりすれば、鳥は驚いて逃げてしまいます。
意識を集中させるものは、例えばマントラ、心に浮かぶ像、ろうそくの炎、絵や写真あるいはシンボルマークなど、心を一点に定めてその状態を保つ事が出来るものであれば基本的に何でもいいのです。しかし、呼吸に集中させることが最も適していると思います。
以下のどの方法を行うにしろ、まず姿勢を調えて、ゆったりと座ります。そして姿勢を点検します。腰は曲がっていないか、首は真っ直ぐに伸びているかなどを確認します。身体をリラックスさせ、どこにも緊張がないようにします。
身体と心のエネルギーを最小限に使い、ゆっくりと慎重に始めます。
A)数息観
要するに呼吸の数を数えようというのです。つまり意識を雑念に向ける代わりに、呼吸を数えることに集中させて集中力を養おうというものです。
ただし、数える意識と数えられる呼吸の数が一体化していなければ効果がありません(ややこしい説明ですが、やってみれば分かります)。
呼吸は瞑想にとって極めて重要なリズムと精妙さがあります。瞑想すると心と体はリラックスしますが、同じように呼吸も落ち着いて、より静かで、柔らかで、捉えにくいものとなり、やがてはかすかなささやきのようになり、ついには呼吸自体が意識外に去っていきます。まさに呼吸しているのかいないのか分からない状態です。
このような理由によって、呼吸は瞑想の旅を助ける理想の伴侶と言われています。後になって、瞑想中に注意を集中させるための手段を変えたとしても、初めの内に呼吸を観察する修行を積んでおけば、その経験が大いに役立ちます。
このような修行によって、他の瞑想法にも対応できる力が備わり、特に努力をしなくても注意を向ける対象を別の対象に変えることが出来るようになります。更に瞑想の行程で、最初の数分間で呼吸を観察し、その後で他のものに意識を集中させることが、心を正しい状態にするのに最も適していることがやがて分かってきます。
先ず瞼を閉じます。(瞑想法によっては目を開けたまま行うものや、閉じて行うもの、なかば目を閉じて行うものなどがあります)瞼は緊張させないでリラックスさせておいて下さい。
真心を込めて「ひとーつ」と心の中で言いながら、深く長く息を吐いていきます。この「ひとーつ」と数えることに、呼吸が引きずられて、ついてくるようにします。息を吐ききると、今度はゴムまりをギュッと掴んでパッと離したときのように、息がスッと入ってきます。全く自然のリズムでやります。
同じように「ふたーつ」「みっつー」「よっつー」「いつつー」と「ここのつー」まで数えます。「ここのつー」まで数えたら、また「ひとーつ」に戻ります。
これを何回も繰り返します。途中で気が散って数が分からなくなったら、また「ひとーつ」からやり直します。注意しなければならないことは、呼吸と意識が離れてしまわないようにすることです。そのためには「気力」が必要です。
この呼吸と意識を結びつけている力が「気力」です。集中力を養うのは、この気力を養うためです。意識が数に集中し、呼吸を数えること自体に専念し、呼吸のリズムが数えるリズムと一つになり、身も心も一体となると、不思議なことに体全体がスーッと鎮まってきます。意識が呼吸と調和し、心身全体が調和してくるので、雑念が生じる隙間がなくなってしまうのです。
ただし注意して下さい。このような体験をした時に、初めての人はその不思議な体験に興奮してしまいます。興奮した瞬間に、その集中は破壊されるのです。ですから「ああ、こういうものか」と人ごとのように客観的にその変化を見過ごす姿勢が必要です。慣れてくれば何て事はないのですが。
最初は一回数分から10分ぐらいで充分でしょう。数日から数週間(毎日継続して練習すればの話ですが)も経てば、数えなくても集中できるようになります。このころになると15分程度は瞑想を続けられるようになっていると思います。
B)随息観
数息観より少し難しいですが、調息でお話しした呼吸に全身全霊を投入していくことによって心を調えるという方法です。全身全霊を投入するということは、心身を緊張さて「さあ呼吸をやるぞ」と構えることではなく、自分の呼吸がどのような呼吸なのか、あるいはその性質などを観察するということです。
最初は呼吸を一つの感覚として認識してみて下さい。息を吸い込むと冷たい感じがし、吐き出すと温かい感じがすることに注目してみて下さい。そして、吸ったり吐いたりするたびに身体がかすかに上下することにも注目してみて下さい。
次に吸い込んだ息が厳密にはどこへ行くのかに注目します。胸の上の方か、それとも中程か、あるいは腹の底か。瞑想をするときには、息を深く吸い込みますが、それは空気を大量に吸い込むという意味ではありません。出来るだけ深く、横隔膜のあたりまで息を吸い込むということです。(表現が少しややこしい)横隔膜は呼吸の周期を司っている筋肉です。ただし、いつもよりたくさん空気を吸い込もうとしたりしないこと。あくまでも自然に、リラックスして呼吸することが大切です。
次に呼吸の意識をどこに集中させるのがよいかを決めます。鼻孔に集中するのか、それとも腹部に集中するかどちらかに決めます。鼻孔は冷たい空気が流入し、暖かい空気が流出するのが感じられる所であり、腹部は呼吸の度に身体が緩やかに上下するのが感じられる所です。
腹部より鼻孔のほうが感覚が鋭いため、ここに焦点を合わせると意識を集中させやすいという利点があります。また、鼻孔は空気が身体に入ってくる場所ですから、体内の生命力と体外の生命力の接点となっています。一方腹部に意識を集中すれば身体のことがもっとよく分かるし、自分自身とより深く接触していることが感じられます。両方を試した後で、どちらかやりやすい法に決めて下さい。(私の場合は腹部です)一度決めたら原則的には変更しないで続けて下さい。ましてや瞑想中に気持ちがぐらついて、あちこちに焦点を変えるようなことがあっては瞑想になりません。
瞑想を始めるときに、どこに意識を集中させるかを決め、後はそこに焦点を合わせ続けるのです。
釈迦が弟子に瞑想を指導したときの言葉を紹介します。
注意深く息を吸い、注意深く息を吐くこと。長く息を吐きながら「長く息を吐いている」ことを自覚し、長く息を吸いながら「長く息を吸っている」ことを自覚しなさい。そして、短く息を吐きながら「短く息を吐いている」ことを自覚し、短く息を吸いながら「短く息を吸っている」ことを自覚しなさい。

C)身体に意識を巡らせる
意識を体全体に巡らせることによって集中力を養う方法です。足先から下腿そして膝、大腿、臀部、さらに上に向かって背中、胸、手と腕、肩、首、最後に顔、頭と意識を巡らせていきます。
これは体内の旅と呼ばれる深いリラクゼーション訓練でもあります。まず、調身でお話しした座り方で座ります。深呼吸し、リラックスします。次に出来る限りからだ全体に力を入れ、しばらく息を止めます。そして息を吐き、全ての緊張を身体から出ていかせます。
ここで姿勢を点検してみましょう。腰は曲がっていないか,首は真っすぐに伸びているか。身体をリラックスさせ,どこにも緊張がないようにしなければなりません。身体と心のエネルギーを最小限に使い,前かがみにならないようにこの姿勢を保ってください。そして,ゆっくりと慎重に,意識を全身に巡らしてみましょう。まずは足から,足は緊張していないでしょうか。足がつらくても,筋肉を硬直させてはいけません。苦痛と戦おうとせず,そこにゆったりと身を任せてください。
次に殿部,続いて腹部を点検しましょう。緊張していればほぐすようにします。上に向かって背中,胸,手と腕,肩,首,最後に顎,顔,こめかみを点検します。
身体の中で起こっていることを意識しましょう。緊張とは,身体が行動に備えることにほかなりません。その行動が起こらないと,緊張は解消されずに筋肉の中に閉じ込められることが多いのです。身体全体に意識を巡らせながら,バネ(緊張)を静かに解放して,閉じ込められていたエネルギーを身体の他の部分に自然に還流させることに専念してみてください。
次にトロッとした蜂蜜が体の表面を上から下へと降りていくように、緊張が体から出ていくのをイメージします。
自分自身をとても小さい光の点のようにイメージし、体内に入っていきます。(映画「ミクロの決死圏」や「インナースペース」の主人公になったつもりで)例えば、その光の点のような自分自身の小さな分身が左肩へと流れ込み、進むにつれてあらゆる緊張を解いていき、左肩から左腕そして左手と移動していきます。手の平にたどり着いたときに手の平にチクチクする感覚や暖かい感覚が生じることをイメージします。今度は左の手の平から右肩にワープします。左と同じようにイメージを巡らせます。このようにして全身を巡ります。やがて体全体が落ち着いて温かくなってくるでしょう。今度は心臓に入り、血液がたらだ全体にポンプで押し出される動脈の流れに乗ってみましょう。赤血球と一緒に体のあらゆる組織や器官を旅します。
消化器系を旅してみましょう。食べ物が身体に入るときに通る道をたどってみます。
口から胃の中へと。そして小腸、大腸と巡っていきます。巡っている間に全ての細胞、組織、器官が完全にリラックスしていくことをイメージします。
もし、体の中で不安に感じているところ(病気ではないかと思っている器官など)や障害があれば、愛とエネルギーを込めて、分身をその場所に派遣し、その部分をよく観察させます。炎症や異常があればそれを取り除いたり、手術する様子をイメージします。最後に体内の探険と健康の手入れに満足したときに、小さな分身は通常の大きさに戻り、自分自身と合体します。
さて時計を見てみましょう。少なくとも10分以上は経っているはずです。
旅が長ければもっと時間が経過しているでしょう。
最初は、要領がよくわからずに戸惑われるかもしれませんが、まあとにかくやってみて下さい。やがてわかってきます。但しこの方法を行うためには、身体の基本的な仕組みが分かっていないと出来ません。身体の仕組みに関する本や絵本などを読んでおいて下さい。(解剖学の専門書は必要ありません)
初めの内は、呼吸を数えるという手段を用いても、心はすぐにあらぬ方向へさまよって行くでしょう。様々な考えが浮かんで注意が散漫になり、何がなんだかわからない内に数を数えることも、呼吸に意識を向けることも、体内を巡ることも、そして瞑想していること自体が頭の中から消し飛んでしまうということがよくあります。しかし、心配しないで下さい。焦ってはいけません。
自分に腹を立てたり、愛想を尽かしたり、失望したりしてはいけません。このような集中力の低下は誰にでも起こりうることですから。何千年もの間瞑想者や修験者はこれと同じ事を経験してきたのです。自分は意識を集中させるのが世界で一番下手なのだと思うかもしれませんが。誰もがみんな世界で一番下手のです。心が乱れて手に負えないからこそ瞑想する必要があるということを決して忘れないで下さい。毎日の少しだけのトレーニングがやがて必ず大きな変化をもたらします。
集中することに少しでも慣れてきたら、「待つ」ということがどういうことなのか、分かってきます。
D)チャクラから気のエネルギーを入れて全身に巡らす
Cで説明しました【身体に意識を巡らせる】が出来るようになりましたら、次の行程としてチャクラから気のエネルギーを体内に入れて、それを全身に巡らせます。
チャクラとは、簡単に言えば気のエネルギーの中枢とでも表現されるところで、気のエネルギーを吸収し肉体に生気を与える働きがあり、7つあります。
瞑想で使用する主なチャクラは第一チャクラ(ヨガではムラダーラ・チャクラと呼ばれ、人体では尾骨先端あたりに位置しています)と第七チャクラ(ヨガではサハスララ・チャクラと呼ばれ、人体では頭頂部に位置しています)です。
瞑想の姿勢で、まず第一チャクラから気のエネルギー(陰の気)を体内に取り入れます。方法は、尾骨先端から気が右回りに回転しながら吸収されていく様子をイメージします。身体に意識を巡らせる練習が出来ていれば問題ありません。引き続き吸収された気のエネルギーが仙骨から脊椎にある脊髄神経を上昇していく様子をイメージします。
やがてそのエネルギーは脊髄神経から延髄を通過して脳(中枢神経)全体に広がっていきます。
次に第七チャクラから同じように気(陽の気)を吸収します。頭頂部(ツボでいえば百会)から右回りに気が入り、第一チャクラから上昇してきた気のエネルギーと脳の中で混じり合い一つになるように(陰と陽が一つになる)イメージします。
今度は、陰と陽が合体した気のエネルギーを頭からゆっくりと全身に巡らせます。四肢五体隅々に行き渡っていく様子をイメージします。
<補足説明>
チャクラは第一から第七まであり、それぞれは体の神経叢に対応していると言われています。場所は以下の通りです。
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第一チャクラ:尾骨先端 |
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第二チャクラ:前後二つあります。
前は下腹部丹田、後ろは第4,5腰椎。 |
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第三チャクラ:前後二つあります。
前はみぞおち、後ろは第10,11胸椎。 |
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第四チャクラ:前後二つあります。前は心臓部、後ろは第四胸椎。 |
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第五チャクラ:前後二つあります。前はのど、後ろは首の後ろ。 |
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第六チャクラ:前後二つあります。前は前頭部眉間、後ろは後頭部。 |
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第七チャクラ:頭頂部、百会穴。 |
チャクラの大きさは直径5,6センチの円形の底辺を持つ円錐体で、底辺が肉体から3センチほど離れたところから肉体に向かって細くなっていきます。
ちょうどラッパのような形をイメージして下さい。ここから気が出入りします。気が体内に入ってくるときは右回り、体内から気が出ていくときは左回りにまわって流れます。
瞑想の姿勢で、まず第一チャクラから気のエネルギーを体内に取り入れます。
ここから入ってくる気は地面の気すなわち陰の気です。方法は、尾骨先端から気が右回りに回転しながら吸収されていく様子をイメージします。身体に意識を巡らせる練習が出来ていれば問題ありません。右回りとは第三者から見て右回りです。体内から見ると左回りになります。第一チャクラから入ってきた気は尾骨先端部で光の点になり、少しずつ大きくなりやがて直径5,6センチのボール(ちょうどドラゴンボールような)になるまで気を吸収します。
次にこの光り輝くボールが仙骨から脊髄神経をゆっくりと上昇していく様子をイメージします。ゆっくりゆっくりと。上昇するにつれて腰から背中、そして肩の緊張が更にほぐれていくのをイメージします。
やがてボールは首(頸椎)に達し、いよいよ中枢神経の脳に入っていきます。
延髄から脳幹を通過して脳の中心部に達したならば、そこで移動を停止させます。
今度は第七チャクラ(頭頂部)から、同じように右回りで太陽から降り注ぐ陽の気を吸収します。やはりドラゴンボールのような光り輝くボールになるまで吸収します。そして先ほどの第一チャクラから上昇してきた陰の気のボールと合体させます。ここで光の輝きは最高度に達し、まぶしくて直視できないようなエネルギーを感じて下さい。
さて今度は、この陰陽が合体したエネルギーのボールを全身に巡らせます。
ボールは液体のようになって、頭部から全身に徐々に徐々に浸透していく様子をイメージして下さい。上肢は手の先まで、下肢は足の先までどんどんエネルギーが流れていきます。全身に気のエネルギーが充満したら、次に患部に意識を集中し、エネルギーのボールを時間をかけて患部に充分に注ぎます。患部が癒されていく様子をイメージして下さい。時間的な余裕があれば、癒しが完全に終了し障害がなくなってしまった状態までイメージしてみて下さい。
この行程までやり終えると、、外見的には静止した姿勢ですが、意識は更に集中し、体には生気が充満し全身の細胞が活性化され、表現しがたい至福の状態になります。自然治癒力が最大限に発揮されている状態です。なんだか全身がジーンと軽くしびれるような、βエンドルフィンが全身に分泌されているような、夫婦が愛し合うときのような、いつまでもこの状態が続いて欲しいと願うような世界です。
以上の行程を出来れば毎日、毎日出来なければ出来る日に少しずつでかまいませんから継続してやってみて下さい。やがて体が健康になっていくことが実感できると思います。 |